2025年04月08日
<ジョブ型雇用>
某精密機器メーカでジョブ型雇用を採用したところ、人事がそれを利用して出向中の社員を大量に降格、実質リストラしたそうです。これが先日訴訟になりました。問題は2点あります。
1つ目は評価の問題。ジョブ型雇用の評価は、文面化された客観的基準に従って行うことが条件です。なぜ降格になったのか、という質問に担当管理職が全く答えられないのはルール違反です。
2つ目は人事部が評価をしていること。ジョブ型雇用はジョブを行う組織で基準にしたがって評価することが原則です。第三者の人事部がそれに関与すれば制度は崩壊します。
経営層が制度の本質、前提条件を全く理解していないというのも驚きですが、恣意的運用を止める仕組みを全くつくらず暴走可能状態というのは制度どころか会社そのものが崩壊しかねません。
ジョブ型雇用を日本企業で採用するにはかなりのハードルがありますが、採用を決めた経営者は本当にジョブ型の利点欠点を全く理解しているのでしょうか?ジョブ型でどういうトラブルが発生するかはジョブ型を経験した人しかわからない部分がありますがそのようなアドバイスを受けたことがあるのでしょうか?
日本企業は人事部が移動を決める「人事部人事」が多数派ですが、ジョブ型の場合、これは許されません。変更範囲はJD(Job Description)に記載された範囲のみです。変更範囲、会社業務全部と書いたJDを見たことがありますが、ジョブ型を全く理解していない証拠です。
経営層が大幅な組織改革を行う場合、原則的にJDを変更しなくてはなりませんし、十分な説明と同意が求められます。そこで自分に合わないと感じれば転職するだけの話ですが日本企業の業務は標準的な業務からはずれていることが多く、経営層と雇用者の関係は不均衡になります。数十年にわたりこれを放置していた経営者の責任は重大ですが、トヨタのようにそれを積極的に改善しようという動きもあります。豊田会長の「転職自由」発言はその典型でしょう。私がDENSOを辞める時に「ここを辞めたら二度とトヨタ系では働けないぞ」と脅されましたが、時代は変わったものです。
JOB側の場合、上司、部下ではなく、組織の管理職=組織人事管理マネージャと契約者という関係ですが、日本企業では部下という感覚が強く組織を自分の所有物と勘違いしている管理職が多くいます。私の在籍した某US企業では必ず「さん付け」せよというルールがありました。肩書で呼ばない、後輩にもさん付けして呼び捨てにしない、そういう文化が必須です。
さらに言えば、経営層から降りてくるJDの変更について説明責任を持つのは人事管理マネージャです。JDとは何かを組織の管理職が理解していなくてはなりません。現実はジョブ型に切り替えた企業の中でそのような管理職教育が行われているという話が聞こえてきません。前出のオリンパスの一件でも理由がわからないことの意味を管理職が理解していないという時点で制度が破綻しています。
結論として形式だけ取り入れても効果は出ないということです。
2024年10月23日
<シニア層の活用方法>
誰もが名前をしっている日本の超巨大企業に転職した知り合いがいました。MBAを取得して経営への参画も期待されての入社と思いますが、当の社長から言われた一言が
「再雇用した人が上手く働いてくれいないのだけどどうしたらいい?」
彼は、ほどなく辞めてコンサルファームに再転職されました。
高齢化社会をなぜ日本企業が生かすことができないかという問題がよく現れています。この企業では再雇用では無条件で給料は半額以下になります。会社から見れば「役に立たないのだからシニアは雇ってもらえるだけありがたいと思え」という発想と言ってもいいでしょう。この給料で、それまでXX長として人を使う立場だった人がいきなり現場に戻って機能するかというとそれは無理でしょう。
シニアだから安くてもいい。経営者がこんな感覚なら機能しないのは当たり前。しかしこれはシニア側にも責任があるケースも散見されます。最新の技術や知識を常に勉強して指導できるだけの力を保持してきたか?自分の組織メンバーを働きやすいように支援してきたか?組織に付加価値をもたらすことで報酬を得ているという感覚を持ち続けているか?
このあたりの意識改革は「意識」だけではできません。定年後に社員として機能するためには個人ごとのキャリアプランを決めるようにしておく必要があります。キャリアプランとは平たく言えば、自分は何で勝負したいか?自分の付加価値は何か?ということです。前述の話とダブりますが、ここでも必要な制度として出てくるのは複線人事です。
複線人事が機能していれば、すくなくとも専門職を選択した人は定年関係なく機能させることができます。この場合の問題は給与レベル保持でしょう。その会社で機能するということは他社でも機能するということです。管理職が人事管理スキルをもっているなら、定年後はPMOなど調整役が適任。いずれも年齢関係なくチームとして動くことに慣れておく必要があります。55歳のベテラン技術者が35歳の新任チームリーダに従って動くということを可能にしなくてはなりません。。
これが出来ないということは複線人事が機能していないということです。
2024年09月22日
<解雇規制緩和について>
解雇規制緩和は雇用流動化の結果であり原因にはなりえません。何の対策もせずに緩和したら、経営者の発想としては、いらない人をクビにして若手や専門知識をもつ経験者を入社させるでしょう。とあるアニメでリストラの宣告をしたらホームから突き落とされたというシーンもありましたが、そうい二次的な犠牲も出ます。おそらく転生は出来ないとは思いますので犠牲者のままでしょう。
ITやコンサルの業界ではかなり前から転職が当たり前となっていますが、これはスキルがその会社にとって必要かどうかをお互いに判断しているからできる話です。例えば私のような製造業専門でコンサルティングやIT導入をやってきた人間は、その会社が金融にシフトしたらいらなくなるので、製造業の人員を増やしたい会社に移るしかありません。
これは経理系でも人事系でも事情は同じ。採用したい企業は要求するスキルがはっきりしているケースが多いのです。人事管理のプロがほしい、財務のプロがほしい、子会社の社長候補がほしい等々。
今の日本企業である企業が放出したいと考えいる人は受け取り手が少ないケースが多いと私は推察しています。これは能力の問題ではなく、一つは実務、管理とも業務がその企業に特化していて他社では使えない場合が多いこと、もう一つは現場から離れている年数が長い人も多く、即戦力になりにくいこと。古い話で恐縮ですが、かつて山一証券が倒産した時も最後まで売れ残ったのは一流大学卒の中間管理職だという話もあります。
さらに深刻なのは20年以上会社のために働いた人がさくっとクビを切られるという現実を若手が見たら、そういう会社は敬遠してしまうということです。現在東大の一番人気はアクセンチュアさんだそうですが、給料が良いというのもありますが、転職もしやすい業界だということも影響していると推察します。
対策としては、まず管理職減らすこと、それと専門スキルをちゃんと定義し、それに応じた給与体系に変更していくこと。優秀な人材は基本給を上げて流出を防ぐと同時に、残念ながらそれに漏れた人にローテーションなどでチャンスを与えること。
それを行う場合に問題になるのが、日本企業の年齢序列文化、管理職序列文化です。これを改善しないと、どうしても年齢がネックになって人材が柔軟に使えません。
私はずっとプロジェクトでいろいろな人と組んできたこと、外資が長いことなどで、自分の年齢をあまり気にしていません。PwCに入った時には55歳を超えていましたし、60を余裕で超えている現在も自分の娘と同年代の若いリーダの下でメンバーとして動いています。日本企業にこの年齢不問文化をどうやって根付かせるかというのが企業として課題です。
これらを義務化することは出来ませんが、前述の通り、若手がすでに老舗業界離れを起こしていることから経営者は対策を取らざるを得なくなりますし、すでに手遅れになっている業界もあります。解雇規制緩和を行うならこのような情報提供を広く伝えていくことも重要ではないでしょうか?
2024年05月07日
<新入社員の退職>
5月の連休明けは新入社員が退職する最初のピークだそうです。平成生まれのくせして未だに昭和をやっている上司に嫌気がさして辞めるケースが多いとか。名刺を1日200枚配ってこいとか、電話を200件かけろとかいう時代遅れの根性営業をやらされるケースがあとを立たないそうです。管理職の無能さを示す良い(悪い?)例ですが、「近頃の若いもんは根性がない」とか言っているとそのうち会社がつぶれていくことになります。
新入社員の側もそれで辞めていいところに就職できるか?というとそうではありません。実績が何もない新入社員を採用するのはあくまでも新入社員枠です。自分が選択した会社がそんな時代遅れだったことになぜ気が付かなかったのか、ということを反省しない限り同じことを繰り返します。
これの原因の一つが就職ではなく、いまだに就社であることです。
「あなたを雇うのはXXの仕事をお願いするからです」という仕事の説明が必要ですが、これが全くされていない。ボランティアでこんなことやりましたとかそんな間抜けな話が就職面接でやりとりされていることが現状です。そんな暇があったらどんな仕事を期待しているのか、どんな知識があるかをきっちり聞くべきと思います。
会社を辞める人が多いの会社側に原因がある場合が多いということを経営者は認識すべきでしょう。
2024年04月18日
<リスキリング>
とある経済学者が日経でリスキリングは企業内教育を充実すべきとか言ってますが、これも現実を理解していない。現在、超がつく一流企業と言われるところでも、「こんな部門ではスキルも着かない」と1年で辞めてしまう若手も多い。その状態で中高年向けのリスキリングを強化するとか、優秀な若手の離職を促進するようなものです。
現在、再雇用のシニアが機能しているかというと、かなりの部分お荷物扱いが多い。USでは若さが重要と言われますが、70歳を過ぎても現役で若手と一緒に働いている人も多い。この違いは明白で、働いているシニアは常に勉強し、技術についていく努力を若いうちからしているわけです。日本では課長くらいになると現業は「部下」にまかせて、成果の「監視」しかしていないケースが多い。
結論は簡単です。人事方針を維持したままで、リスキリングで今の管理職を再教育して戦力にするのは無理ということです。現業から離れた人を現業に戻すのですから目標をちゃんと与える必要ばあります。どんな仕事を与え、成果が出ればどれくらいの報酬を約束するのか、という目標なしに、とりあえずDXとかとりあえずAIとかやるのは時間とお金の無駄です。
2024年03月02日
<転職防止策?>
優秀な人の転職を防止するにはコミュニケーションが大切、とか日経に人事コンサルタントを名乗る人が書いていましたが、こういう感覚が転職が防止できない一番の原因です。
このコンサルタント氏は転職先に欧米の外資系が多い理由は何か、もう少し考えたほうがいい。
まず給料が一律で低すぎること。特に技術者の冷遇はひどい。例えばGoogleは優秀な人には新入社員にすら日本の初任給の数倍の給料を出します。日本企業の給与制度は悪平等。これは転職の大きな理由の一つです。
「言われたことだけやってればいいのではない」と言う管理職が多いですが、それは管理職が無能な証拠。仕事の指示が不十分でいい加減ということです。USの会社はJob Descriptionを契約としてかわします。つまりは役割りがしっかり定義されている。日本の気まぐれ管理では正当な評価など期待できない。しかも評価されても給与にはほとんど反映されない。
正当な評価と国際水準の給与。まずはこれが必要条件です。評価基準を明確にしないといけないので管理職は説明責任を負います。だからコミュニケーションはいやでもとることになる。コミュニケーションが無いことが問題なのではなく、コミュニケーションをとらなくて済んでしまう制度がおかしいのです。
この人が言っているのは精神論でしかありません。こんな頓珍漢な話をする人がコンサルタントを名乗るからコンサルタント=いかがわしい人、になってしまうのでしょう。
2023年05月07日
<機会>
かつてある大手企業のシステム導入を行う際、お客様から誰をお客様側のプロジェクトリーダにすべきと思うかという質問を受けたことがあります。その時に私は有能かつ将来有望な若手の名前を挙げさせていただいたのですが、即座に却下されました。
理由は若すぎる、リーダは役付きでないとだめだ、と日本企業では普通にありそうな理由でした。自分より若い人の指示は受けたくない、というのですが、有能な若手ほど、この会社では自分に機会が与えられないと感じると辞めて行きます。システム系、工場系などは特に外資系の募集も多いので、要注意。部門間の協力が必要になってくる場合、システムに限らず、「プロジェクト形式」で仕事を回す必要が増えてくると思いますが、現在の人事制度、意識のもとでは失敗するケースが多いと思います。
プロジェクト組織はいわゆる「契約関係」です。計画立案と指示管理責任はPMが、実行責任はメンバーが担うわけですが、上下関係ではありません。指示をするのが「上」という感覚ではプロジェクトは回らないのです。ラリーで言えば、PMはナビゲータでメンバがドライバです。このことを意識しないとプロジェクト形式での仕事は難しいでしょう。
2023年03月18日
<若手が辞める理由>
日本の会社の生産性は大変悪いというのは私が知る限り事実。無駄な会議が多いというのはありますが、多いこと自体が問題というより、決まらないまま進ことが問題です。決めた人間が責任を問われるから、誰も決めない、だからみんなで決める。反省会も結論は「みんなやるべきことをやったんだ」、で玉虫色に終わるのが普通。
そうでなければ、「こいつが悪い」と一方的に一人に責任を押し付ける。以前テレビでやっていた小学校の学級崩壊の話とかを思い出します。学年全体で校長も教頭も協力してやろうということで「みんなで」決定し、子供をなんとか授業を聞かせようと先生を何人も教室に投入したんだけどうまくいかない。で、校長が何を言ったかというと
「担任がしっかりしていないからこうなるんだ」と責め立てて回りも同調。典型的な日本的管理と言えるでしょう。テレビを見てるだけでわかるような馬鹿な原因で対策も難しくないのですが、問題を検討することもなく、場当たり的に「みんなで決めて」うまくいかなかったら責任者が逃げる。
失敗の反省会というものに出たことがありますが、司会が最初に何を言ったかというと
「誰が間違えたか誰もやりかたがまずかったとかいう個人攻撃はやめましょう」
この時点で反省会は反省会ではなくなります。誰がどこでなぜ間違えたことが原因かを明確にしない限り同じ間違いを繰り返します。これがなぜ出来ないか?本来決断を承認する管理職がその能力を持たない上に、「そんな話は聞いていない」「説明が悪くて誤解した」とか担当者に責任を押し付けることが出来てしまうからです。これは管理職が仕事上のリーダの権限と人事権をあわせもっていることで、逆らえないことが原因の一端というかほとんどを占めています。仕事上の(能力に疑問のある)リーダに意見するということで、逆恨みされて人事評価に響くような所で働きたいとは私は思いません。何度でも繰り返しますが、これは「意識の問題」ではありません。仕組み、制度の問題です。
2023年03月18日
<転職市場3>
日本の新入社員には新入社員教育というものがあります。社会人としての常識を身に着けさせるだけでなく、報告の仕方などを教える会社もあります。概して日本企業のほうが新入社員教育が長い。これはその会社特有の仕事の仕方があるという問題と学生が常識的なことすらわかっていないという二つの問題があります。
後者は大学側に問題があります。研究などにおいてチームの作り方、計画の作り方、実行時の管理項目、報告書の書き方など基本的なことを(教授クラスですら)知らない人が多い。
基礎研究だろうが応用研究だろうが、予算が付く限り、目標、計画、報告が無くてはいけないのはプロとして常識。計画書の時点で、審査が必要であることも管理者として常識。「管理するなど学問の自由の侵害だ」とか騒ぐ人がいますが、そういう人ほど学問はしていないと感じます。
大学、特に工学部は何かを作るという目的があり、企業とかぶる部分も多いですし、東京大学などを除けば、ほとんどが博士課程には進まず民間企業に就職します。しかし、仕事の基本が大学で全く教えられていないため、新人が即戦力にならない。これは民間に人材を供給するという観点から言えば、大学の機能不全とも言えます。
2023年03月18日
<転職市場2>
某半導体装置メーカの3年後の新入社員残留率のが95%という話が新聞に載っていましたが、これが自慢になるほど、日本の企業の定着率が悪くなっているという証左でしょう。
バブルのころは転職を繰り返して、高額サラリーを、などと夢見る学生が結構いましたが、今、若手と話をしているとバブルさはあまりなく、安定志向に振っている印象があります。それでも定着率が悪い。転職する理由がバブルのころとは違うのです。
以前は厚生年金、会社の退職年金など、長く勤めないと老後に困るという「脅し」が効きましたが、今は脅し文句になりません。また、大企業でもリストラをどんどんやっている。この二つから、そこで長く勤めようと考える理由が無いし、リストラされた時に転職できるかどうかという不安があります。そんな状態で「石の上にも3年」という発想で雑用、下積みを求めたら優秀は人から順に辞めていくのは当たり前。
日本では未だに昇進をちらつかせれば残るという古い考え方をしている人もいるようですが、転職市場で中間管理職がいかに売れないか、まじめに考えている人ほどよく知っています。日本企業にいると管理職になる35歳をすぎると転職機会が減ると言われていますが、技術者など専門職は60歳でも声がかかります。
また、私が属するIT業界では、日本企業からUS企業に転職すると職種にもよりますが給与は最低2割は増えます。逆に言えば日本の技術者の給料は異常に低い。
全員の給与を上げるわけにはいかない、とも言う人もいますが、これは給与を決める人が客観的に仕事の評価ができないということと同義です。新入社員は差をつけられない、というのもおかしな話で、何のために何度も面接をやっているのでしょうか?
2023年03月16日
<転職市場>
私の年齢でも週に1度くらい転職に応募しませんか、というお誘いが来ます。USではリストラが続いているという報道もありますが、株価対策という側面もあり、実際失業者があふれているわけではありません。IT系のコンサルタント、技術者は足りていません。
声をかけてくるのは、ほとんどUSの会社にいる外国人のエージェント。失礼な人もたまにいますが、7−8割は先方からアクセスをかけてきて、相談するとちゃんと対応してくれます。
日本の最大手の一つからは、まずメールでプロファイルを登録しろと来ます。しかし登録して面接の予約までしてもエージェントから連絡が来ることはありませんでした。他の方の話でも、この大手はこちらから連絡してもまともに取り合ってくれなかったとのことなので、もしかすると個人情報を集めること自体が目的なのかもしれません。この会社、某新聞はほめちぎっていますが、転職市場にとっては障害にしかなりません。
さらに言えば、私のようなIT専門職の場合、転職紹介先はほとんどがUSの会社の日本法人です。たまに日本企業の案件もありますが提示額がかなり低い上に仕事も魅力が無い。とある日本企業で新しい社内システムを開発するために100人単位で人を集めているという案件では内情を聞いたら集めた9割が実は社内で、ITとは関係ない部署の人という凄まじいものでした。
私の知り合いで大手日本企業(私がよく知っている企業ですが)に転職して2-3年で嫌になって外資系に再転職した人がいます。専門職=実際に仕事をする人=XX長に昇進できなかった人または若手という感覚の人が多いので、見下されて居心地が悪かったのでしょう。
新入社員の人気ランキングで上位だからと安心していると、アガサ・クリスティーの小説みたいになりかねません。
「そして誰もいなくなった」
2023年03月15日
<日本企業は何を間違えたのか?>
集英社新書にこんなのがあります。まあそこにいなかった人が結果を見て書いてるなとしか思っていませんが、要は社員に自主性がない、自主性を会社が認めてこなかったから世界からおいて行かれた、というような話です。これでデジタル化からおいて行かれたと。
「尖った人」が日本ではなぜ活躍できないのか? 社会のせいではありません。会社の経営者の問題です。もっと言えば単線人事の既得権の上にあぐらをかいている中間管理職の抵抗を経営者が止められないことにあります。それに切り込まず、社会だとか、個人の意識だという話をしている限り改善はしないでしょう。
一度管理職になり現場を離れて命令する立場になる=「昇進」であり、自分は仕事を指示する立場だと勘違いする方も多くおられます。古い会社ほどこの傾向が強いと感じます。
技術の第一線から一度はずれて椅子に根をおろしてしまうと、よほど努力しないと戻るのは難しくなります。
処方箋は明らかなのですが、既得権を崩せないのが問題。やること自体は簡単で、評価基準の明確化、業務指導と人事権の分離。
業務指導する人間が人事権を持つと恣意的評価になりやすいこと、また人事権の雑事にかまけて指導すべき立場の人間が最新業務を勉強しなくなること、これが役職定年後に「役立たずの元部長」が若手の足を引っ張るという弊害につながっていきます。
この著者に限らず、この手の論者は「意識の問題」にしたがる傾向がありますが、これは組織形態の構造的問題であり、誰かが「間違えた」わけではありません。既得権を「会社のルールにしたがって」死守しているだけです。これが意識で改善などするはずがありません。
2023年02月11日
<多様性とは何か?>
映画の中で白人が黒人に殺されると「なぜ黒人が悪役なんだ、差別だ」と言われ、逆だと「なぜ黒人が殺されなくてはならないので、差別だ」と言われるというジョーク(実話という話もありますが)があります。
LGBT界隈でも差別的発言と言われ首相の側近がクビになりました。会社の中で、仕事を行う上で、パフォーマンスさえ出ていれば、その人の政治的信条、性的嗜好はまったく関係ありませんし、それを話題にすること自体避けるべきです。
私が最初に入社した某日本企業で、一人だけ、「自主労組」を名乗って共産党の活動をされていた方がおられましたが、昇進させてもらえていませんでした。しかしこれは差別ではなく、ルール違反を行い続けることに対する会社側の回答と思います。どんな信条を持っているかによって差別するのは間違っていますが、それを他人に会社という場で主張、強要するのは明らかにルール違反。
微妙なのが宗教。配慮は当然必要で、雇用する以上、特にイスラム教徒の方にはお祈りの部屋を準備する、ハラル食を準備するということは必須でしょう。日本の慣例で反社会的と認められるような行為に関しては日本に居住する以上、控えていただくのも常識です。
ただ、好き嫌いということは強制もコントロールも出来ないのも事実。理解はするけど、嫌い、ということは仕方ないと思います。これが差別だという人は、それこそ「多様性を認めない偏狭な人」でしょう。
2023年02月11日
<男女平等とは何か?>
私が社会に出た1980年代後半は男女雇用均等法というものが制定された時代でした。では平等だったか?というと、それから35年以上たった現在でもコンサルティングの仕事で話をする相手は9割方男性であることを考えると、結果はほとんど出てないと言わざるを得ないでしょう。
いくら育休をとっても男性は子供を生むことはできません。また出生率は国の存亡にかかわる話です。だとしたら女性への配慮はあってもいいのでは?と思います。私が開発のリーダをやっていた時にはメンバから「お前は会社にいてちゃんと指揮を取れ」と言われたことがあります。つまりその場にいないと仕事が回らない職種のあるわけで、これは産休で休まれたら仕事が止まる。100人のプロジェクトなら、副リーダにまかせることもできますが、少人数プロジェクトではリーダは常にキャプテンシートに座っていないといけない。
何が言いたいかというと、そういうことを理解せずに「平等」を推し進めると出来ないことを平等だからと押し付けて「だから女性には任せられない」となる可能性が高いということです。結果残るのは男性ばかりということになります。
職種をきっちり定義し、運用を柔軟に切り替えて出産育児ができるような環境をそろえることが重要で管理職の女性比率がどうのこうのというのは本当に平等といえるのでしょうか?
2022年12月01日
<実例>
ここで私自身の経験を書かせていただきます。
1990年代前半に私のいた会社は大リストラを行ったのですがその直前、私は奇妙な現象を経験しました。それまでの数倍のペースで周りが昇進して行ったのです。当然満足度は爆上がり。しかしその1年後、昇進した人たちは地獄を見ることになります。次期製品が全く立ち上がらず、その次の製品も売れるとは思えない状態。これで売り上げ見込みが下がったところで、大リストラを行い、当時の会長はその後退職金を手に転職して行きました。
その後、来た超有名な経営者は素晴らしい手腕で会社を立て直しましたが、その過程で社員の半分以上が解雇、その後新規で雇い入れた人を加えてもリストラ前の7割程度にスリム化しました。この経験があるので先のイーロン・マスク氏のツィッター解雇のニュースに対しても「さすが」と感じました。
もっともこの経営者が去ってからはまたリストラが始まり、私もそのあおりを食ったのですが。。
もうお気づきと思いますが、この経営者は「巨象も踊る」という著書で有名な方です。この方は組織改革から手をつけました。前任者はリストラ時に組織改革をやらずに「部下」にリストラ人数を割り当てたため、結局管理職は自己保身のため全員残り、技術者などの会社の推進力になる人たちがリストラの犠牲になったのです。
人事では論理的思考がいかに大切か、この時の経験は自分がコンサルタントになった後も役にたっています。
2022年11月30日
<コストと人事制度>
某新聞に職務給と職能給の話を書いている学者がおられました。いわく、職務給は固定されていて云々とのことですが、管理職は固定されているという観念がすでに古い。管理職に権限を与えると評価が甘くなってコストが上がる、という話も現実を知らない。
管理職の給与が固定されるというのは組織が硬直化している証拠です。製品開発にせよ、工場の改革活動にせよ、プロジェクト組織で柔軟に運用していかないと競争力を失います。係長が昇進して課長になって、という考え方自体が日本企業の体力を低下させている原因そのものと私は考えます。
評価が甘い云々も評価基準を明確に決めないから起きる話です。評価基準と抗告制度を作ることでかなりの部分は改善できますが、問題は管理職が人事権を盾にパワハラ出来なくなるというので抵抗が強いことです。なぜパワハラが無くならないかというと、管理職が人事評価を人質にできるからです。
まず、昇進=管理職という考え方を無くさないと何も解決しません。スペシャリストが育たない。大規模な組織では管理職としてのスキルが必要ですし、小規模な組織ではPlaying Managerが必要です。順当に昇進された課長さんに現場の小規模プロジェクトチームを指揮できるでしょうか? 組織メンバーを部下と呼び、XX君と見下している間は組織は活性化しません。
管理職に権限を与えるとコストが上がるというのはある面は正しいのですが、発生する理由が全く違います。これは「満足度調査」なるものをやった場合に発生することが多い。この時に褒賞、昇進を乱発して満足度を上げるというゴマすり型と、評価を人質に良いポイントにすることを強要する脅迫型の管理職が発生します。前者はコストアップ、後者はパワハラを誘発します。制度整備を何も行わず形だけこういうことをやると弊害しかない、ということです。
やる気とかモチベーションとか言われる方も多いですが、組織は精神論では運営できません。評価基準がしっかりして、評価が正当に行われることが必要条件です。不公平な組織でモチベーションの上がる人はいません。
2022年11月26日
<トップダウンの誤解>
トップダウン組織においては命令される側は絶対服従と勘違いしている方が多いのですが、組織化された軍隊としてはトップレベルと言われるアメリカ軍でも、ベトナム戦争において、上官からの命令が無茶だったり矛盾していたりする場合は機能しなかったそうです。矛盾した命令を下士官から命令拒否され、単独戦地に向かって戦死した士官が複数いたとの調査をいろいろな文献で見たことがあります。
日本企業においても所属長が無能な場合、矛盾した命令や実現不可能な命令を出すことが多く、終身雇用が普通だった時代には転職もままならないため、それに従ってメンタルをやられ、結局退職に追い込まれた方も多くいました。私の知り合いにも何人かいます。
管理者として無能な人を所属長にしなくてはならない理由としては、繰り返し主張しているように単線人事が一番大きな原因ではありますが、会社に自浄作用が無いことも大きな問題です。
労務関連の違反行為を監督署の届けると、なぜか間違って会社にメールが転送されるという事例もあるそうですが(あくまでも噂です)ある大企業で若手社員がパワハラを人事に届けたら、上司に連絡が行き、上司に「なんでそんなことを人事にいうんだ!」と怒られたという実話もあります。私の経験上では、これらの事例は日本の場合、会社の大小というよりは、会社の歴史が古いところほど多いという傾向があると感じています。
実際に、何か問題があると「実務は担当にまかせているから」と全責任を担当者に押し付けるというケースを何度か目にしました。管理者の人格の問題はこの際別として、根本は人事制度の問題。特に技術部門においては仕事を管理する人が仕事の中身についていけないという現実があります。複線人事においては仕事を管理と仕事の評価は別の仕事で定義されています。前者はベテランの仕事、後者はマネージャの仕事です。そのために必要なのは、前にも書きましたが明文化された評価基準です。
所属長の無能さを所属長の人格、能力に全責任を押し付けるのは、人事部門の責任放棄です。現在では上司の無能さを見切った翌日に転職エージェントに電話して、1か月後には転職しているというのがだんだん普通になりつつあります。人材がどんどん外資系に流れていく現状を日本の大企業の方々は認識すべきではないでしょうか?
2022年10月24日
<人事制度>
他ページのコラムで、先日新聞に出ていた「若者が管理職になりたがらない」という「問題」について、これを問題にしていることこそ問題だと指摘しました。
日本の伝統的な会社の管理職は転職の機会が技術者などの専門家に比較して少ないのは現実です。転職先が求めているのは管理職ではなく、「リーダ」です。リーダが出来ている管理職は何%いるでしょうか?大組織のリーダはそれなりの専門知識とノウハウが必要ですし、小規模組織のリーダは時としてメンバーのベースカバーにも入らなくてはなりません。この二つの職種を「管理職」でくくるのは間違っています。前にも書きましたが、前者はマネジメントの専門家でなくてはなりません。後者はプレイイングマネージャで、要求されるスキルが全く違います。
日本の企業の問題点として「偉くなって管理職になる」という考え方があります。昔のような拡大し続けるピラミッド構成の組織ならともかくも、今はそこまで大きく拡大しない会社が大半です。その場合、全員が管理職になるわけではなく(それも問題なのですが)管理職にならない人のほうが多数になります。管理職=偉いという価値観をやめないと管理職から漏れた方は「脱落者」となり、最悪、会社にとってはお荷物になってしまうこともあります。
ではどうすべきか?まずは管理職を専門職として教育する制度を作ること、評価基準を明文化すること、そして年齢関係なく、専門職としての管理職を実際の業務につけること、を少しずつやっていかないと手遅れになります。組織形態はチューター制度を取り、指導する立場には人事権を与えず、サポートに徹するようにすることも必要です。指導する人が人事権を持つとパワハラ等の温床にもなりかねませんので、少々非効率でも人事権を分けた方が良いと私は思います。
MBAが必ずしも良いとは限りませんが、このような教育を行うのは一つの手でしょう。せっかくMBAを取得して帰ってきても、アメリカのやり方にかぶれているから、1からたたきなおしてやるなどと言い出す上司がいたりするので、これこそお金の無駄遣いです。 近頃、社費で留学に行ってすぐに転職した人を会社が訴えるケースが散見されますが、これに関しては転職する側が悪いとは必ずしも言えないのでは?と思うこともあります。
2022年05月31日
<AAR>
私の尊敬するコリンパウエル元将軍の著書、「リーダを目指す人のための心得」は前にも紹介しましたが、「イノベーションのジレンマ」、「君主論」とともに若手のコンサルに必ず勧める3冊の本のうちの一つです。
日本語の書名は中身を言いえて妙ですが、実は原題は" It worked for me."
なんとも謙虚な方です。
この中でなかなか日本で根付かない方法論の一つにAARがあります。AfterActionReviewというものですが、これは「実名入り反省会、ただし責めない」というものです。
日本の反省会は個人のつるし上げになるのを避けて実名を出さず、最後は
「みんな頑張ったんだ、次はちゃんとやろう」(何を?)
という状態になり、同じ失敗を繰り返すことが多いのが現状。しかし、生きるか死ぬかという状態では、なぜそういう判断をしたのか、ということを分析することなしにミスをあげつらっても何も得るものはありません。
これを根付かせるのは日本企業にとってもよいことだと信じていますが、どうやってこれを実施するのかというのが中々むつかしいところです。
2022年02月04日
<ジョブ型人事の誤解>
ジョブ型人事は仕事が固定化する、イノベーションが損なわれるという言い方をされる方もいますが、おそらくジョブ型人事を理解していないのでは、としか思えません。
例えば技術領域では自分で専門領域を最新化、拡大化してより高い給与を目指すのは当然の話です。どんな領域も30年前と同じ仕事では企業は回りません。「ジョブ」はどの領域でも少しずつ(時として大きく)変わっていかなくてはなりませんし当然、グレードが設定されなくてはなりません。それを固定と思っている時点でジョブ型人事は失敗します。
ジョブ型人事においてはラインマネージャは必ずしもJOBの専門家ではありません。JOBの専門家はメンバーの中で経験と知識を持つ人から選ばれ、評価基準の策定に携わります。そのJOBを担当する組織がいくつにもまたがる場合は、評価項目などを作成する専門の組織がある場合もあります。メンター制度などに類する仕組みを作成しスキルの低いメンバーの指導をJOBの一部として定義することが必要です。
ジョブ型は適用にあたり、準備が必要です。これをさぼると間違いなく失敗します。それはジョブ型人事が悪いのではなく、ジョブ型人事を理解していないからです。
2022年01月28日
<人事改革の流行>
ジョブ型人事、という言葉が結構話題に出るようになりました。某大企業が全面的に移行するということですが、現状、対極ともいえる企業がこちらに舵を切るというのはかなりのパワーを要すると思います。
意識を変えるとか、働き方を変えるとか、そんなことはおそらく全く役に立たないと思います。簡単な話、問題は制度と待遇です。私のいた外資系はこの点参考になると思います。別に義理立てしてるのではなく、他のコンサルティングファームでは実務として実現しているわけではないので、実運用の難しさがわかりにくいということです。
まずは評価方法の規則化、所属長とメンバを契約関係にすることが最初でしょう。日本企業においては主従関係を要求するところも未だにあります。年度のはじめに目標を共有し、それが成立したら評価を出す、それで評価を出さなかったら管理職側を降格させるくらいの制度にしないとだめでしょう。これは現管理職の既得権を侵犯するのでここで躓くお客様が大半です。
所属長は評価者となりますが、評価は数字ですべきです。設計であれば、設計変更数、手戻り数、設計起因の品質問題数など。調達であれば、供給納期の遵守率、価格低減実現率、もちろんこの手の指標には緊急時の対応の良し悪しも含むべきです。トラブルそのものではなくそれを作った原因を明確化するのも重要です。そのためにはAARと呼ばれる手法を取るのもいいと思います。AfterActionReviewという手法で私が大ファンのコリンパウエル将軍の本にも出てきます。
「誰が悪いかは問わず、反省会をしよう」という方もおられますが、これは全く無意味です。誰がどこで間違えたか、と明確にするのが反省会です。それを責めるのではなく、その間違いがなぜ起きたか、それをどうやって防止すべきかを議論する必要があるのです。
生きるか死ぬかの戦場では「あいつのせいで」とか言ってみたところで何の解決にもならないわけで、そういう意味でパウエル将軍の言葉は重いものがあります。
恣意的な評価をする所属長を排除するためにはその上2階層くらいまでの風通しを良くしておく必要があります。私のいた所ではOpenDoorPolicyというものがあり、気軽に上層のマネジメントと会話できるような制度がありました。実際USにいたときには着任3週目くらいで組織制度が悪いという話をマネージャにしたら、4層上の事業部長に話をしてこいと言われて無謀にも彼に組織論をぶったことがあります。当時29歳、英語も下手だった私がよくやったなあと我ながら思います。
この制度はマネージャの恣意的判断への牽制効果が出ます。それでもゼロにはならないので、人事部門の位置づけを変える必要があります。人事部門は教育部門であり、監査部門として動けなくてはいけません。
マネージャ側に厳しい話が続きましたが、メンバー側もこの制度になると逃げ道がなくなることを認識すべきです。日本製造業は生産性が悪いと言われいますが、その一つに最新技術の勉強などを管理職になったら雑用にかまけて止めてしまう人が多いという現実があります。自分が理解できないから部員の取り組みが理解できずに評価しない、優秀な人は嫌気がさしてやめてしまうという悪循環になります。
先輩社員をそのままマネージャにすることは止めるべきでしょう。メンバー側も自分のやっていること、やりたいことを説明するスキルが必要になります。なれ合いから主従関係になってしまう事も多い。もう一つ重要なことはマネージャはローテーションすべきということです。マネージャはマネージャという専門職であるべきで、組織が変わっても機能しなくてはなりません。
この制度を日本に入れるときに問題なるのは年齢、特に元管理職の人たちです。先に指摘した通り、最新技術等を勉強できていないマネージャが多く、現場に戻っても仕事が出来ないケースがあります。取る道は2つしかありません。
解雇して人を入れ替えてしまうか、再教育するか、です。少なくとも機会を与えるのは会社の義務でしょう。元部長、元次長という立場にこだわる方にはご退場いただく必要があります。それでもさらに障害になりうるのが年齢です。よく再雇用する時に同じ組織に置いてしまうことがありますが、これは切り替え時期においては上手くいきません。マネージャから担当員に戻った方は配置転換が必須です。現在の人事制度では先日まで部長だった人がいきなり同僚と言われても困る人が多いと思います。ジョブ型人事が根付くまでの過渡期には、このような対策が必要になります。
これらには弊害もあります。私もかつてその外資系にいたときに規則を逆手にとられて不利益を被ったことがあります。トラブルが起き、予算が枯渇したプロジェクトに。稼働率はこちらでなんとかするから、と送り込まれてなんとか立て直したのですが、裏切られて稼働率ゼロにされ、成果ゼロだから評価はD(退職勧奨)とやられたことがあります。
人がローテーションすることはたまにはトンデモマネージャが来ることもあるわけで、相手の人となりを判断しなくてはなりません。人間関係が悪くなるという人もいますが、今でも付き合いのある友人はこの外資系時代の人たちです。
2021年10月10日
<再雇用>
私もこの年齢になっていますが、単線人事の会社での再雇用はむつかしい問題を抱えます。特に管理職が再雇用された場合、実務を離れすぎて役に立たないか、管理職気分が抜けずかつての「部下」に命令を続けるか、というような現象があちらこちらで見られます。
私がかつて所属していた外資系の本社では70歳の現役技術者もいましたし、もとより、管理職として有能な人は定年と同時に他の会社、例えば外資の中小企業の日本法人の社長、営業部長など管理職として転職する人が多くいます。
実力は玉石混合ですが、管理職を一つの専門職として認識している人が多いといえます。逆に日本では、私も父親によく言われましたが、XX長になって一人前、という感覚なので管理職は出世の階段でしかありません。現場=出世できなかった人という感覚が強いので一度管理職になると、現場を見下す人が多くなります。
これが無意識のうちにパワハラになっているケースが多く、組織の生産性を著しく落としてしまいます。会社はチームワークが基本です。軍隊のような命令を絶対として遂行する組織ではありません。そろそろ日本企業も単線人事を根本的に見直さないとまずいのでは?と思います。
2020年01月15日
<生産性とは?>
日本の技術者を含む労働生産性はOECD加盟国でもかなり下の方です。労働生産性の定義には異論もあるでしょうが、実際の残業時間等を考えると生産性が良いとは言えません。私は日本企業、日本化した外資系企業、外資企業と渡り歩き、生産性を落とす原因に人事制度、それに基づく価値観があると考えています。まずは対象を製造業、IT企業に限らせていただきます。生産性というものを、ここでは同様な製品を同様なチャネルで販売するにあたっての企画、開発、設計、製造、出荷、販売にかかる労働力とでもしておきましょう。
<とりあえず結論>
結論から先に述べておきます。生産性が悪い原因の一つには単線人事制度があると考えています。複線人事を標榜する会社は多くありますが、実際は機能していないケースが大半です。
<単線人事?複線人事?>
単線人事とここで呼ぶものは、一般社員⇒係長⇒課長⇒次長⇒部長と「昇進」することで
給料、職位が上がるという仕組みをさしています。当たり前じゃないか、と思ったあなた、その通りです。つまりはXX長にならないと職位も給料も上がりません。またどこかで止まると後輩が追い越していきます。すると結構居づらい。これは日本企業だけの話ではなく、社会通念としてリーダが「偉い」という社会の価値観に基づいています。小学校の時に学級委員にとか生徒会長とかやってると内申書に書いてもらえるとかいうのもその一つ。学園祭のコスト削減で価格交渉やった生徒など評価は全くされません。
なぜこうなったかたというと、人間考えるのが面倒くさいからです。課長より部長が偉い=優秀という人間判断が簡単に出来るわけです。ある製薬会社での実話ですが、支店長の上に課長がいるという組織でした。当然支店長のほうが偉いと考えるので、取引先に二人で行くと、支店長ばかりにゴマをすって、「課長なんざ立ってろ」と言わんばかりの扱いを受けたのだとか。その取引先の責任者後で平謝りだったそうです。
余談はともかく、自分を認められたいという欲求があるわけで、それがXX長でしか表現されないのであれば誰しもXX長をめざします。だから、政府の「女性活用」の評価基準に「女性管理職の比率」などというわけのわからないものが出ます。今までの管理職はキャプテンシートに座って指揮をする人でなくてはならず時間制約がきつい。男女平等といっても子供を産めるのは女性だけです。これを同じ時間感覚で評価したら女性が不利に決まっています。つまりはこの評価項目は女性に結婚するな、と言うに等しい。それでいて出生率が問題とか同じ省庁が言うのだから、この人たち、頭は大丈夫かと正直思います。
また脇道にそれました。この価値観は人間の「認められたい」という欲求に根差すものであり「部長になりたい、社長になりたい」はその結果でしかないということを認識すべきと思います。
複線人事というのは専門職を認めるものだ、と考えている人がいますが、それは間違いと言えます。XX長コースと専門職コースに分けるという形式はその通りなのですが、誤解してはいけないのはこの制度においてはXX長は管理職という「専門職」として認識しなくてはならないというこです。技術、事務能力で優秀な方は必ずしも優秀な管理職になれないということを言われる方もいますが、なぜ逆の事象もあるということに思い至らないのか?まあ管理職=人より優秀=偉いという先入観があるので仕方ないのかもしれません。
実際、専門職としては今一つでも管理者、経営者としては天才的という人も多くいます。
管理職とは管理を行うプロです。コンサルファームとかはPlayingManagerが当たり前なので少し事情が異なりますが、一般職種ではその部門の長はその部門の業務のプロでなくてはなくても管理はできるという考え方です。設計の課長が購買の次長になるということも当然発生します。これを支えるのが「専門職」です。この構造を理解しないと、結局XX長になれなかったから、専門職にするという現在大半の会社で行われている運用になってしまいます。
この運用の難点は「専門職=昇進できなかった人」という認識ができてしまうため、専門職に対するRespectがなくなってしまうからです。これでは全員がXX長をめざす単線人事と何も変わりません。また「XX長=選ばれた人」と勘違いして、年上のメンバーを呼び捨てにしたり、無能者扱いしたりすることが発生します。これはいろいろな会社で起きてます。これでモラルが下がってしまいます。
<なぜ単線人事では生産性が上がらないか?>
単線人事で日本が発展してきた理由は簡単です。企業が膨張していったからです。良い例が私が最初に就職した某自動車部品会社です。私が入社した1986年には1兆円に届かない会社でしたが今では4兆円を超える巨大企業に成長しました。当然ポストも増えていくため、よほどのことが無い限り管理職にはつけます。また次長以下は55歳で管理職をはずすという役職定年制度があるため増える社員にポストを与えていくことが可能でした。私の友人たちはほとんどが次長までなってます。今は役職定年で担当者に戻ってる人も多いのですが。
ところが、他の企業は90年代、2000年代を通じて停滞してしたところも多くあります。そのような企業においては、新入社員は全員が課長になれるわけもなく、「選に漏れた」と感じる社員が多くなっていきました。XX長にならないと社内で認められたことにならない、という価値観のもとでは「ドロップアウトした人たち」はいくら優秀な技術者、事務担当者であってもモラルが下がります。つまり、「生産性が低下します」
まずこの時点で人材を十分に活用できない、ということがおわかりでしょうか?
またXX長目指して雑巾がけからやる、という感覚は高度成長期の精神論そのままです。みんなで頑張ればいい、残業など制限しなくていい、過労で倒れるなどたるんでる証拠、こんな価値観がまだ職場にはびこっています。天皇陛下と同じ年に生まれた私は高度成長世代ではありません。今の部長、事業部長は私と同年代です。この価値観が綿々と受け継がれてしまっているため、私から見たら
「いつの時代の話してるんですか?」
と思ってしまいますが、「俺が若いころには」を連発するため、若手に馬鹿にされます。
この精神論は現代における製品開発の方法論の導入を阻害しているというのが二つ目の生産性阻害の理由になります。開発を例にとって説明しましょう。
プロジェクトマネジメントでは計画を立案し分担を決め、評価方法を決め、納期を決め、進捗を管理し、必要に応じて担当の変更を行います。プロジェクトを率いるためには権限が必要になりますが、偉いのはXX長という価値観ではXX長がプロジェクトの責任者になることが多くあります。XX長は組織の長であり、雑用も多いので、そのプロジェクトにかかりきりになることどころか、計画すら部下に丸投げするケースが多くあります。それでいて権限は自分の所有物だと勘違いして絶対渡さない。丸投げされた部下としてはなんとかしたいと思っても、自分には何の権限もないため、担当変更すらできないし、評価基準も決定する権限もない。
リーダ権限を持つ所属長に訴えてもこんな答えが返ってくる
「ちゃんと議論して進めろ。基準とか杓子定規にやらずちゃんと議論しろ」
責任の所在を明確化するな、という話です。結果失敗したら、丸投げした相手に責任をかぶせ、成功したら指導のおかげ、と自慢する。それが管理職の「搾取権限」と勘違いしてる人が多くいます。
厄介なのは責任取りたくないばかりに言い訳してるわけではないということです。すべて合議制でやるべきと本気で思っているから、何を言っても議論にすらなりません。このため、結論が出せない議論を延々と夜中までやることになります。結論が出ないのではないのです。精神論を前提とするとが出せないのです。なにしろ唯一の「結論」は
「みんなで議論して頑張って作り上げる」
しかないのですから
製品、システムとも複雑化し、精神論でなんとかなる領域を遥かに超えてしまっています。しかし、管理職=権限を持つという考え方になってしまうと、新しいことを学ばなくなってしまうことが往々にしてあります。他のところでも書きましたが、30年前の知識を自慢げに振り回して、まわりが呆れかえっていることにすら気が付かない人もいます。それはそれで幸福なのかもしれませんが、その知識でいろいろ指示とかやられるほうはたまったものではありません。そこまで行かなくても「自分は選ばれた」と感じてしまうと傲慢さが出るのは人間の本性として仕方ないのではないのでしょうか?
3点目。これは定年延長問題と密接に関係します。サザエさんの波平お父さんの時代には定年は55歳でした。毛がなくても彼は50代前半。それが60歳に伸びたとき、若手にチャンスを与えるという意味で役職定年なるものを導入した会社が多くあります。若手には管理職のチャンスを餌としてあたえておけばいいというなんとも安直かつ愚かな発想なのですが、これが問題になります。55歳を過ぎた「次長さん」は係長の下につきます。係長は先日まで2つ上のポジションにいた「偉い人」を部下に持つことになるわけです
単線人事では所属長が、業務のアサイン、命令を行うことになります。つまり30歳そこそこの係長さんは自分の父親みたいな年齢の人に「命令」しなくてはなりません。当然避けるようになります。役職定年ではずれたほうもつい先日までアゴで使ってた係長に命令されることになるわけです。ここで前述の話が微妙に影を落とします。
管理職は新しい技術、業務を勉強することを止めてしまう人が多いと書きましたが、これは自分が担当者に戻ったときに「使い物にならない」のと同義です。これに危機感をもって、管理職であるうちに自分で何か仕事を抱え込んでおきたいという誘惑にかられて無駄な予算と人員をつぎ込むことも散見されます。
この現象のどれをとっても会社の生産性を落とします。少子化が叫ばれる中、シニアと女性の活用が必須と言われながら、全く逆のことを結果的に行っていることになります。会社として取り組むべき方向性を、変化を望まない方々が曲げてしまって逆効果になっているのです。
人間誰しも、今がいいなら変えなくてもいいのではないか、と考えがちです。今の若い世代は雑巾がけをして課長に取り入って出世したいなどと考える人はほとんどいません。
この原因を作ったのは現在の管理職です。世代ギャップなどでは決してありません。私が新入社員のころは、大企業が安定していて一生勤めることが出来るとして人気でした。私も転職する気などなく、このまま定年までいるんだろうなあと思ったものです。ところが経営者自らその期待を裏切りました。業績が悪くなるとリストラ、工場も事務も派遣と請負で外注化、それを新しい経営手法と勘違いした愚かな経営者が企業の体力だけでなく信用を落としてしまったのです。社員を大切にしない会社は社員から信頼されません。都合のいい時だけ愛社精神を要求し、都合が悪くなったらバッサリ切る、そんな会社を信頼して一生懸命働こうなんてお人よしはあまりいません。
しかしながら、管理職、経営者層は若手の「やる気のなさ」を未だに嘆いて無策状態。さらには自分は既得権をしっかり守る。大企業でも1年たたずに辞めてしまう人が増えているのは100%経営側に問題があります。
少し話がずれました。現在の管理職、経営層が自ら崩してしまった前提を若手への説教だけで取り戻そうとしているのが今の日本企業の姿と言ったら少し言い過ぎでしょうか?経営手法も製品開発手法も世の中の常識ですら、刻刻と変化します。単線人事はもう機能しません。形だけ肩書だけ与えるような自称複線人事は百害あって一利なしです。
<なぜ複線人事が機能しないか?>
なぜ複線人事が機能しないか?これも答えはそれほど難しくありません。大きく言えば、
1.管理職だけが社内的な評価の対象になっている
2.管理職が機能しない
ということです。前述のようにこの裏には長年の積み重ねがあります。一つ目のポイントに関しては人事部門の責任について話をしましょう
学生を疲れさせる最も無駄な作業の筆頭が「就活」です。何をいきなり、と思われるかもしれませんが、ここに文化の刷り込みの出発点であり、かつ若い世代の離反の出発点があります。本来なら採用部門が採用を判断するべきところ、なぜか人事部門がおかしなことを要求します。ボランティアの経験、サークル活動の経験、いかにリーダとして活躍したか等々。私が採用担当者なら、そんな話をしたら即不採用にします。なぜならそんな経験は実務で必要ないからです。ここで特に馬鹿げているのがリーダとしての経験です。チームが10人いたらリーダが一人しかいません。それを10人に要求してるようなものですし、メンバは「下」であり、リーダだけが評価されるという曲がった刷り込みが行われます。
ある有名企業の2年目の若手に「将来はどんな仕事したいの?」と聞いたことがあります。その時彼が言った言葉がすごい。
「現場で何かするのではなく、経営層に早く入ってリーダシップを発揮するような仕事につきたい」
その若手はお客様だったので「ふーん」で終わらせてしまいましたが、徹底的に現場であくせくするのは下々、管理職として命令して一人前、という「常識」でした。
この人は極端かもしれませんが、多かれ少なかれリーダは一人前、メンバーは半人前というおかしな価値観が人事部の面接対策で刷り込まれているのは事実でしょう。
配属されてからも、次長は課長を、また課長は係長をXX君と下として見るような呼び方をし、何か間違いを指摘しても「立場をわきまえて発言しろ」と言われたりします。これが実際に自殺に結び付いた某電機メーカの例もありましたね。
この時点で「この会社に死んでもついて行こう」と考える若手はほとんどいません。前述のように会社を信用していないからです。就活に始まり、配属でとどめを刺された若手は転職先を探し始めます。
繰り返しますが、大手企業でも離職していまう原因は若手に野心や志が無いからでは決してありません。こんなバカげた世界で何年も我慢しないと評価されないのは時間の無駄だとドライに割り切るからです。しかし、会社に忠誠を誓ってきた管理職の方々にはこのドライさが理解できないのです。
私もDENSOを退職する時に人事課長から半分脅しみたいなことを言われたことをよく覚えています。
「一度トヨタ系を退職すると二度とトヨタ系では雇ってもらえないがそれでもいいのか?」
「かまいませんよ」と席を立った私を宇宙人を見るような目で見てたのを今でもよく覚えてます。
管理職が機能していない、という二つ目の理由についてご説明しましょう。管理職の職務は何ですか?と聞かれて何を思い浮かべるでしょうか?私は組織員の管理、とそのまま答えます。組織員の管理とは?と聞かれたら
1.彼・彼女が実力を出せる環境にあるか?
2.精神的、体力的な健康状態はどうか?
3.不公平感など不平不満は出ていないか?
4.個々人、チームの目標、計画に従って業務が進んでいるか?
等をチェックし、問題があれば解決する、と同時に
5.状況を上層部に報告、必要な支援を要請する
という仕事だと私は思います。ここで気を付けていただきたいのは「業務上の専門的相談」は業務に含まれていないということです。これは後程対策でも触れますが、管理職の仕事ではありません。
メンバーが10人いる場合、この5項目(とは限りませんが)をこなすだけでも手一杯になりますし、今まで自分でやってた仕事をメンバーにやらせるため、やり方、速度が違うとつい手を出してしまうケースも散見されます。
上記項目は専門知識、スキルが必要なものばかりです。特に対人コミュニケーションスキルが必要であり、訓練が必要な部分もあります。では今の日本企業で管理職になるときにインタビュー訓練がどの程度されているでしょうか?私の知る限りほとんど行われていません。
これはチームで「自分でやった専門的な仕事」が評価されて管理職になる場合が多いからです。黙々と仕事ををやってきた人が、ある日突然、必ずしも得意分野でない領域の相談が受けられるでしょうか?人とのコミュニケーションが苦手な方もおられます。しかし、評価の結果が昇進なのでやらざるをえない。でもやり方がわからない、で機能しなくなる、というパターンが多くあります。
プロの管理職、プロの経営者というと、かつてはMBAの数値管理絶対主義の人たちが組織をめちゃくちゃにしたことが思い出されるかもしれません。数字をよくするためだけにリストラを行ったり、事業を売却したりしてモラルを下げ、経営が傾いてしまった会社もありました。ここではそんな輩のことを言っているのではありません。プロの管理者とはメンバとちゃんと会話でき、業務の支援が出来る人のことです。これは訓練が必要です。人の悩みを聞き出すためにはインタビュー訓練が必須で、私も受けたことがあります。
まず人の話を聞けること、そして何が問題かを他のメンバに聞いて解決策を提案できること、組織をまたぐアクションが必要な時は交渉役をすること、まともな管理を行うためにはそういうスキルが必要になりますが、業務が出来る=能力としか日本の企業は考えないので、管理に価値を置きません。
IT企業によくある話ですが、部下の開発スピードが遅いから部長や課長がコードを自分で書いてしまうなんて実例もあります。その結果管理が疎かになり結局他の部分で納期に間に合わなくなったあげく、部下に「お前が遅いからだ」と責任を押し付けるなんてことも発生しています。もはや管理者失格です。ある超有名大企業では、課長のコードがバグってトラブルを引き起こしたという笑えない話もあります。
<対策は何か?>
ではどうしたらよいでしょうか?形から入るべきと制度だけ作っても全く機能しません。
文化を変えればいいという人もいますがそれは言うほど簡単ではありません。こういう時の定石は飴と鞭と世代交代をうまく使うことです。最初にやるべきことは、業務ルールを明文化し、それを上層部に承認させることです。ただこのルールがあまりに非現実的では絵に描いた餅になりますので、どんなルールにするかについては外部の意見を聞くべきと考えます。
いくつか方法がありますが、外から管理職を呼ぶという方法はあまりお勧めしません。IT企業のような小回りが利くところはその管理に慣れている管理職を外から呼ぶことは効果が出ますが、一般に大企業が、他の大企業から管理職を招聘してもその呼んだ先の悪弊を持ち込んでしまう人が多いことと、その招聘した人がプロの管理職としての能力を持たない場合が大半であることが理由です。プロマネにも小規模プロジェクトが得意な人と大規模が得意な人がいます。大規模が得意な人のほうが優秀かというとかならずしもそうではありません。小規模組織には小規模組織の難しさがあります。
話が少しずれましたが、内部をどのように変革していくか、の第一歩としてはまずは
「記録を取ること」
が重要です。何を当たり前のことを、とお考えの方、社内打ち合わせの議事録に決定事項と発案者、実行責任者が個人名で書かれてますか?
管理職の出発点は人を管理することです。そのためには正当な評価が必要です。たたき上げの方は、外から来た人はなおのこと、その部門で行われている業務を全部理解することは不可能です。ではこの実行責任者とは誰か?
業務を遂行するにあたり、業務上のリーダが必要とされます。4-5人程度小規模組織の場合、この業務上のリーダを管理職が務める、いわゆるプレイングマネージャが必要とされますが、たいていの組織においては管理職が全部行うのは無理でしょう。ですから、業務リーダにサブチームのまかせ、その業務リーダに遂行責任を負わせるのです。この時に重要なことは業務リーダに人事権を渡さないことです。業務遂行を推進するのに人事権は必要ありません。なまじ人事権があるとそれに頼った管理をしていまいますが、これは管理とは言いません。ただの脅迫です。
組織形態は管理職一人に20人程度、これを3-5人の業務チームに分割、各々に業務リーダを据える。これがまず基本です。ですから「係長」は廃止すべきです。
また管理職はチーム員全員と月に1-2度は会話し、状況を把握することが重要です。ただし、仕事への口出しは厳禁です。あくまでも業務は業務リーダが責任を持つ。もし業務上業務リーダがトラブル、困りごとに遭遇したときは相談上位の専門家に相談すべきであり、管理職は業務に口出ししてはいけません。これは責任の所在があいまいになるからです。
私が日本企業にいたとき、係長と課長でいうことが違って何度も同じような話をしなくてはならなくなったことは一度や二度ではありません。これは業務効率を著しく下げます。
評価は業務リーダが設定した目標の達成率を「管理職と担当者が面談して」決定すべきです。業務リーダが不適切な人である場合もあるからです。またそれは管理職にも言えることです。
ここで人事部の改革が必要になります。